2020年03月18日

2020年3月公演の延期のお詫びとお知らせ

当アンサンブルのHP上でも先週お知らせ致しましたが、
今月末に予定しておりました「スカンデッロ『ヨハネ受難
曲』」公演は9月に延期させて頂くことになりました。

以下、私たちアンサンブルとしての言葉です。

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「謹告」
3月25日、28日に予定しておりました
ベアータ・ムジカ・トキエンシス第9回公演
「スカンデッロ『ヨハネ受難曲』」は、
出演者で協議した結果、両公演を延期とさせて頂くことに
致しました。
楽しみにしていて下さったお客様には大変申し訳なく、
この場を借りて、まずはお詫び申し上げます。

なお、延期日程は以下に決定しておりますので、
ここに併せてお知らせ申し上げます。

9/23(水) 18:30開場 19:00開演 会場:日本福音ルーテル東京教会
9/26(土) 13:30開場 14:00開演 会場:日本福音ルーテル小石川教会

この度の新型コロナウイルス感染症の広がりを受けて、
出演者全員が顔を合わせ、その対応について話し合いまし
た。今後の事態終息の見通しや、開催した場合の当日の会
場対応についてなど具体的に検討を進める中で、予定の
3月末に向けて現状が回復するのは難しく、事態を楽観視
できないという点で、意見が一致しました。
まずは、私達が演奏会を行うことによって、ウイルスを
拡散するという事があってはならないということ、
さらに、今はお客様、そして出演者が落ち着いて音楽に
集中できる状況にないということから、苦渋の決断では
ありますが、今月の開催を見送り、延期とすることに
致しました。
時期を変えることで、お客様が足をお運び頂く上での心配
が少しでも減り、より多くのお客様にスカンデッロの
「ヨハネ受難曲」やヴァルター、ル・メートルの響きを
聴いていただけたらと、ひたすらに願う次第です。

払い戻しについては、ご自身が購入された各プレイガイド
を通じて対応させて頂きます。なお、お手持ちのチケット
で振替公演にそのままご来場も可能です。
詳細やご不明な点があれば、何なりと以下にお問い合わせ
下さい。
<トキエンシス事務局> TEL. 042-455-1997
 Mail: beatamusicatoki@gmail.com

振替公演では、より歌いこまれた演奏をお聞きいただける
ように、これからも一層精進いたします。

毎日新たな感染者の増加がニュースで報道され、
不安が尽きない毎日ですが、この感染症の一日も早い終息
と、皆様の心身の平安を心よりお祈り申し上げます。

ベアータ・ムジカ・トキエンシス一同
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

とは言え、筆者は行きたいと思っていた演奏会には
行っています。(もちろん手洗い励行で!)
日々状況は変化し、ウイルスの姿も徐々にわかりつつ
あります。
あとは、それに対して"どのような対応"が適当なのか
という事を模索していく段階と思われます。
われわれがマスクして歌うわけにはいかないので、
いかに不安要素を最小限にして開催できるか、
音楽とともに納得いく準備をして臨みたい
と思っています。

幸い、振り替えに伴って出演者の予定が合い、
さらに予定していた5人でなく6人の歌手の出演での
公演となるので、6声のコラール(モテット)も
プログラムに入れるつもりです。
災い転じて〜とできるように進んでいきます。

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公演まであと20日…でなく200日を切りました。
このブログも不定期で引き続きScandelloの楽曲について
取り上げていきます。
どうぞよろしくお願いします。
posted by おいおい at 10:27| 東京 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年03月05日

スカンデッロ「ヨハネ受難曲」(3)ピラト

かなり社会情勢も平常時ではなくなってきました。
こんなことになるなんて、2020年の年頭に誰が予想してた
でしょうか。。

さて今回の曲について、歌手の立場としては、
ユダヤ人の群衆だけでなく、ペトロもピラトも、
そしてイエスもすべて自分たちで歌うということは
これまでなかったことです。
エヴァンゲリスト(福音史家)の役割の難しさとは別に、
落語のように様々な人物を次々と歌うことを求められる
のです。
とは言っても、この時代の様式の中でScandelloが
それらの言葉をどのような音楽で描いているか、
ということをまず理解しなくてはなりません。

〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜

Bachの<ヨハネ受難曲>においては、
前半の一つのクライマックスとして
弟子ペトロの否認の場面が想起される。

しかし礒山氏が著書「ヨハネ受難曲」で述べているが、
「…十七世紀までの受難曲ではペトロの否みが注釈なしで
控え目に扱われており、《ヨハネ受難曲》では省略される
場合もままあった。しかし十八世紀に入り、出来事に対す
る人間的反応、呼び起こされる感情に人々の関心が向かい
始めたとき、共観福音書における「否み」の記述が、受難
物語の絶好のポイントにあった。それは、「流行」になっ
たのである。」
(礒山雅著「ヨハネ受難曲」p.244より引用)
と、Scandelloの<ヨハネ>でもペトロについてはあっさ
り述べられるのみ。
いや、「あっさり」は、バッハを知っているからこそ
そう思うのであろう。
詳しくはぜひ前掲書をじっくりお読み頂きたい。

ということで、イエス、ユダヤ人たちに続く重要人物と
して、後半の受難の物語に現れる総督ピラトの言葉に付
けられた音楽を分析しようと思っていたのであるが…

(~△~
(~△~;
(~△~;;

撃沈しましたorz。。
長い期間をかけて、悩み抜いた末に、
納得いくように理解することは断念致しました。

ただ、その過程の中で少なくとも気づいたことに
ついて以下に書いてみようと思います。

〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜

<ピラトの楽曲の編成について>
そもそも考察しようと思ったのはピラトの言葉が
ATB(3声)
TB(2声)
の二種類で作られているからだ。
その理由を知りたいと様々な要素を考えたが、
ともかく一つの要素として、
イエスに対して発する言葉はATB(3声)
の編成が使われている。

ではユダヤ人たちに話すのがすべて2声かというと
そうではなく、当てはまらないのが2語ある。
「どういう罪でこの男を訴えるのか」(18:29)
「見よ、この男だ」(19:5)
(以上、以下もすべて新共同訳)

これが非常に悩ましかった。
この言葉を発した時近くにイエスがいた、
とか色々考えたが必ずしもこの2語だけに
当てはまらない。

だが、数日前に思いついたこと。
前者の言葉には"diesen Menschen"、
後者には"ein Mensch"
という言葉が使われている。
他の言葉では"ihm"「彼」などという言葉を使い
"Mensch"(人、男)という言葉は使われていない。
と、人々に対する言葉のなかで上記の2語のみに
共通するのはこの点なのかもしれない。


<声部の関係>
上の要素を考察する中で、各声部の関係についても
調べてみた。
イエスの言葉はすべて四声で統一されており、
ほぼすべてホモフォニックに歌われ、言葉は
非常に明確に響いてくる。

一方、ピラトの言葉は和声的に書かれている箇所も
多いが、意識的にポリフォニック(多声的)に
されているのが以下の部分である。

・「…自分たちの律法に従って裁け」(18:31)
・「私はユダヤ人なのか?お前の同胞や祭司長たちが、
お前を私に引き渡したのだ。…」(18:35)
・「…ところで、過越祭にはだれか一人をあなたたちに
釈放するのが慣例になっている。あのユダヤ人の王を
(釈放してほしいか)」(18:38,39)
・「見よ、あの男をあなたたちのところへ引き出そう。
そうすれば、わたしが彼に何の罪も見いだせないわけが
分かるだろう。」(19:4)
・「…十字架につけるがよい。わたしはこの男に罪を
見いだせない。」(19:6)
・「…(十字架につける権限も)、このわたしにあること
を知らないのか」(19:10)
・「あなたたちの王をわたしが十字架につけるのか」(19:15)

だが、上記についても何か統一した理由は見当たらない。
敢えて言えば、ユダヤ人たちの考え・習慣等について
述べている箇所において、声部が独立したリズムを
もっていると言えようか。


<その他>
上記の内容について悩みつつ、別の要素も調べてみた。

それぞれの楽曲における最後の音である。
・2声の曲はすべて同音で終わる(当然かもしれません)
・3声の曲はほとんど根音(二声部)と三度の組み合わせ
 で終わる

それに当てはまらないのが、
「真理とは何か」(18:38)
「お前はどこから来たのか」(19:9)
の3声部の曲であり、それぞれが根音・三度・五度で
三和音を成す。

この二つについて共通することを考えたが、
参考文献の一冊において触れられていたのを思い出した。
勝手ながら少々長いが引用させて頂く。

「『お前はどこから来たのか』という問いは、『お前は
いったい何者なのか』、『お前の正体は何か』という問
い、すなわちイエス様の人格、イエス様の本質にかかわ
る問いかけです。
…すでに十八章三七節で、主は『わたしは真理について
証しをするために生まれ、そのためにこの世に来た。
真理に属する人は皆、わたしの声を聞く』とおっしゃい
ました。けれども、ピラトはこの言葉を正面から受けと
めようとしませんでした。『真理そのものである方』の
声を真剣に聞こうとしなかったことによって、彼は『自
分が真理に属する者ではない』ことをおのずから証しし
たのです。『真理に属さない者』には『真理の言葉』を
聞き取ることはできないのであり、ひるがえって言えば、
『真理そのものである方』は、もはやこの場面では何も
語ることはない、語る意味がないとお考えになったとい
うことなのかもしれません。」
(越川弘英著「十字架への道、復活からの道ーレントと
イースターのメッセージ」p.132,133より引用)

礒山氏も「『真理』は『ヨハネ受難曲』における重要概念
の一つ」(前掲書p.282)と述べており、曲の最後に響く音が
「真理」と関連がないとは言えない。
三和音の「3」という数字。
イエスの4声の言葉はつねに三和音で終止し、
また群衆の5声「その男ではない、バラバを」(18:40)と、
「殺せ、殺せ、十字架につけろ」(19:15)は
三度を持たない和音で終わるのだ。

〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜

以上、個人的には、不満足なままここに載せるのは
非常に不本意であるが仕方ありません。
専門の研究者、または詳しい方々により更なる考察を
加えて頂けることを願って。

本番まであと20日。
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posted by おいおい at 22:52| 東京 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年02月12日

スカンデッロ「ヨハネ受難曲」(2)

礒山先生の「ヨハネ受難曲」購入しました。
もう予想以上に深過ぎて、簡単に読み進めません。
しかし、今回の公演までには完読して
皆さんの前に出られるよう努力したいと思います。

音楽のみならず、テキスト、聖書の内容について、
さらにドイツ語のみならずギリシア語、ヘブライ語に
まで至る思索を踏まえた文章で、これは演奏者だけに
とどまらない論稿として大きな業績なのではと
読了していない今ですら思われます。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

と、このような素晴らしい本を前に
何を書いてよいやら(@o@;)。
想像もしていなかったが、受難曲の前史の章において
なんとスカンデッロのこの受難曲と冒頭曲の楽譜も
載っていた。勝手ながらご縁を感じざるをえない。

ともかくも、今回は楽譜を前にした時に筆者が悩んだこと
を書きましょう。

scandello_#1.png

上記の楽譜は、ピラトの問いに対して言う
イエスの言葉「わたしが王だとは、あなたが言っている
ことです。」(18:37)のAltusのパート譜。
(この言葉についても、礒山氏はルター訳での言葉の扱い
に触れている。)

音楽的な問題は、1段目の#が最後の音「だけに」付く
のか、ということだ。
(…ここで、もし専門家の方で「当たり前だろ」と突っ込
みたい方がいれば、あとでこっそり筆者に教えて頂き
たい。この項を修正しますから。。)

当初、私がこの楽譜を見た際には
「当然」#は付した右の音符に付くものと思っていた。
従って左の音には付かず、旋律的、和音としても
瞬間的に変化が生まれる。
#の持つ視覚的な十字架の意味、
また#の付かない音と付く音の間での半音関係により、
特定の場面において何らかの緊張感を求めたので
ないかと。

そこで、このような箇所を調べたところ、
非常に多く現れるのである。
おおよそ調べて十数箇所。
また、明らかに右の音符につくと不自然で
左の音に付くと推測される箇所もあることから、
今回はこのようなカデンツでの#の表記がある場合は
左の音符に付くという選択肢を取って演奏すること
とする。

#については、明らかに他のパートと増一度(増八度)
でぶつかる#は、誤りか上記のように考えることと
するが、さらに後半のTenorでは、
e(ミ)の音に「フラットをつけない」という意味と
思われる#もたまに現れ、紛らわしい。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

先日は「ケーテン侯のための葬送音楽」というコンサート
を聴いてきましたが、後半のBWV244aはバッハのマタイ
受難曲BWV244とBWV198の転用からほとんどが構成
されており、非常に興味深い時間でした。
とは言え、聞き慣れたマタイの言葉と音楽を
いかに当たり前と感じているか、思い知らされた経験
でした。新しい言葉に合わせて旋律やリズムも時折
変わっており、その度に「おっ(O.O!)」とビクッと
する自分!

楽譜の読み方も含めて、
現代の私たちでなく当時の習慣を踏まえて、
「新しく」作られた音楽をどう理解し
どう演奏するか、は簡単でない。

最後におまけ。
ScandelloのMagnificat。お花畑の楽譜。ナゾ。
Scandello_Magnificat octavi toni(136v).png




posted by おいおい at 10:16| 東京 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年02月03日

スカンデッロ「ヨハネ受難曲」(1)

さあ、ついに次回公演まで2ヶ月を切りましたっ(~△~;;)

周りにもつっつかれ(涙)、
現状報告と、
スカンデッロのヨハネ受難曲について
少しずつ定期的に書いていこうと思います。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

今回は、IMSLPというサイトから入手した
パート譜での楽譜をもとに演奏することに
致します。
音楽の全体像を見るためにCarusで出版されて
いる楽譜(総譜)も購入しましたが、
そこでは現代のドイツ語に変更されている歌詞が多く、
これをそのまま使用するのは断念しました。

演奏する楽譜について何を優先させるか
という点においては、私たちはまず音楽を
きちんと活かすことを考えたいと思います。
お客様の中にはドイツ語に堪能で
古い単語だとわからないという方も
いらっしゃると思いますが、
今回のCarusの版では、多声曲のいくつかの
箇所では現代語に換えたがゆえに
・長い音符を分割する
・順次進行の旋律に異なる音節を当てる
という編集作業が行われていることが
わかりました。
朗唱の部分だけならともかく、
多声曲における(言葉の)リズムが変わる
のは本来の音楽の姿(リズム)を変えてしまう
ことになり私はすごく抵抗があるのです。

斯くして、他に演奏するコラールの歌詞も
現代語でない曲集(たくさんある(涙))
を調べて選ぶ作業がこれまた大変な作業
で…("O";)
こんなに宣伝が遅れてるわけです。言い訳。

〜〜^o^;〜〜〜〜^o^;〜〜〜〜〜^o^;〜〜〜〜〜〜〜

Scandelloのヨハネでは、
聖書に現れる人物の言葉を最大5声の多声楽曲
によって歌う。

また単声の福音書記者による聖書の記事は、
前回のLassoとは異なり、作曲者によってすべて
旋律の楽譜も言葉も記されている。
従来のラテン語でなく、ルターらによって
ドイツ語で作り直された受難曲は、
そのように朗唱部分もすべて作曲者によって
書かれるようになったのだろうか。

そもそもこの曲に興味を持ったのは、
イエスの言葉も多声楽曲となっている点である。
他にもその種の作品はあるようだが
決して多くはない。
この曲においてイエスの言葉は
全てSATBの4声で歌われる。


昨年のブログでも書いたが、Lassoのマタイでは
・2声 (SA):ユダ(の多く)、ペトロ、女中、別の女中
      ピラトの妻
・2声 (TB):偽証人、大祭司
・3声(ATB):ピラト(の多く)
・3声(SAT):ユダの罪の告白
・5声(SATTB):弟子たち、祭司長・長老たち、人々
・6声:人々「十字架につけろ!」
      「本当に、この人は神の子だった」


さて、今回のScandelloのヨハネでは、
・2声 (AT):下役
・2声 (TB):ピラト
・3声(SST):女中
・3声(ATB):ペトロ、ピラト
・4声(SSAT):下僕
・4声(SATB):イエス
・5声(SSATB):人々

こうして概観すると、
BachやLassoに比べ多岐にわたる編成で
それぞれの言葉(特にピラトの言葉)を語らせている
ことがわかる。
「合唱人」の私としては、
イエスの言葉が4声でどう書かれて歌われるか、
また後半の群衆、ピラト、イエスのやりとりが
音楽的にどう表現されるか、
が非常に興味深い点である。


次回は、これまた楽譜の読み方に苦心している
ことについて書きたいと思います。
おかげさまで白色計量記譜には慣れているの
ですが、今回#の位置が…微妙すぎて。。。

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一昨年ご逝去された礒山先生の「ヨハネ受難曲」を
ぜひ読んでご来場ください!
私もまだ買ってない&読んでない〜買わなくちゃ!!!!

(2020/2/24訂正)
posted by おいおい at 10:57| 東京 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月16日

ビクトリア11/13川崎公演終わりました

今週の水曜日に川崎公演も無事に
終えました。
この日も当日券を10枚近くお求め頂きました!
感謝です。
教会とはまた異なる響きも楽しんで頂けて
よかったです。

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11/11同様この日の終了後にも、
レクイエムだけでなく前半に演奏したモテットも
素晴らしかったというお言葉も頂きました。

6人で6声のビクトリア。
今考えても、しばらくは歌いたくない(笑)
というのが本音ですが、、、
でも、その音楽はすばらしい。
自分がしなくとも、これからもたくさんいい演奏が
されてほしいと思います。

素晴らしいものと出逢うこと。
先日見たテレビでも、ストラディバリウスの楽器と
出逢ったヴァイオリニストが、その楽器の求める音を
奏でるために身体を鍛え始めたんだという話を
聞きました。
素晴らしい音楽や共演者、楽器と出逢うことは
自分を変え、磨きます。

今回ビクトリアの音楽を歌う上でも、個人的には
様々な課題を突きつけられました。
どう長いフレーズを歌い切るか。
ただノンブレスで歌うことではない。
理解するだけでなく身体技術的にも、体力的、
精神的な要素においても音楽に求められる。
言葉のリズムも。
音程感も。
完璧に演奏できることなどありえないけれど、
それでも今回様々な瞬間には
求められていると思われる響きは
体現できていたと思います。


さて、次回は再び”知られざる作曲家シリーズ”
に戻ります(笑)。

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スカンデッロ「ヨハネ受難曲」 
〜 16世紀ドレスデン宮廷 ルター派の受難曲とモテット 〜

2020年
3月25日(水) 19時開演(日本福音ルーテル東京教会)
3月28日(土) 14時開演(日本福音ルーテル小石川教会)

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そもそもこのScandelloの作品に興味を持ったのは、
今年春にLassoのマタイ受難曲の形式について
調べている時でした。

バロック時代以降の受難曲を普通と感じている我々は、
イエスもペテロも当然一人が歌うものと思い込んでいます。
Lassoの受難曲でもイエスの言葉に彼は音楽を
つけていないので、伝統的な朗唱で歌われたものと
推測できますが、その一方で
わかるだけでも数人の音楽家は
イエスの言葉も多声化しています。

来年の次回公演にて参加できるベアータの5人で歌う上で、
声部的にも適しており、イエスの言葉も4声で歌われる
このScandelloの受難曲が興味深いと思い、企画しました。
バッハやシュッツの形式とはまた異なる形式の受難曲を
一緒に感じて頂けたらと思います。

個々人のスキルアップの必要性も感じている今日この頃、
また次回の春までさらなる新しい響きを追求していきます。
posted by おいおい at 12:39| 東京 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする